いつもわたしのプロフィールに掲載している恩師の名前。
もう知らない人ばかりだと思うので、はじめたころのことも少し合わせて紹介しようと思います。


わたしは、2年半ほどカナダの、主にトロントに住んでいたのですが、帰国後、ベリーダンスクラスに通い始めました。


先生のアミーラとアマーニはアメリカ出身で、Zeina dancersとしてデュオで活躍していて、とても忙しそうでした。


彼女たちは、ラキア・ハサンを主軸に、当時エジプトで活躍していたダンサーはもとより、引退したダンサーや振付家のプライベートレッスンを受けて、オリエンタルダンスを学び、
エジプシャンフォークロアは、エジプトのフォークロア舞踊団、レダ舞踊団創始者、レダ本人より指導を受けていました。

エジプト黄金期の芸能界で活躍した振付家やダンサーがまだまだ元気で、カイロのベリーダンスシーンも実力のあるトップダンサーが船やホテルで踊っていました。今思えば、そのわくわく感がレッスンでも多いに伝わってきていました。アハランワサハランの他にフェスティバルもなく、ワークショップも殆どなく、学ぶ機会が少ない時。


image
アミーラ



当時ベリーダンスと言えば、アメリカンスタイルばかりの中で、エジプシャンスタイルを、本物のオリエンタルダンスを学び、伝えることにとてもこだわっていました。

特にアミーラに関しては、当時、関西であれだけのエジプシャンテクニックを持ったダンサーはいなかったと思っています。
アマーニはわたしが出会ってから、2年くらいでアメリカに帰国しましたが、レダ舞踊団の振付やラキアの振付をそのまま教えてくれていました。

数年後、レダトゥループのダンサーたちがレパートリーを踊るのをみて、これもあれもレッスンで習った振付ばかりで、いかに恵まれていたか再認識しました。



クラスに通い始めて、はじめの方はひたすら先生を真似しよう、ずーっと先生を観察していました。
後ろからと鏡に移った前からと。
先生と自分を鏡で見比べて、自分の動きをなおしていく、という方法をとる人もいるようですが、わたしは、身体の中で動きがどう生み出されていて、どう繋がっていくのか、ということに興味があるので、鏡は先生の前からを見るためのもの、という感覚でした。
この頃のレッスンで培われた分析力は、今に至るまで非常に役立っています。


やっと動きが分解して見えてき始めましたのが、2年くらいたってからで、
例えるなら、外国語を学ぶとき、はじめは言葉が全部つながって一本の線のように聞こえていたのが、切れ目が出来て、言葉が耳に入るようになってきた、という感じです。


ベリーダンスを習い始めて、はじめこそ、グループレッスンでしたが、すぐにセミプライベートレッスンになりました。

セミプライベートレッスンでは、マスターレベルのテクニックもレッスンの中で普通にしていたので、エジプトの現役ダンサーのワークショップに行っても怯むことはなかったです。
もちろん、レッスンでやっていたからと言って、当時出来ていたわけでは当然ないですが。

そして、インストラクター活動を始めたのを機に、アミーラがカナダへ移住するまでの最後の1年は、プライベートレッスンに切り替えてもらいました。
この教える上で出てくる疑問など、この時、随分クリアにできました。



アミーラとはいろいろな話しをしました。

何かのときに「わたしは本当にただ踊ることが好きなの」と言っていたのを覚えています。

お互いのプライベートの話もしましたし、ダンスの話、ダンスに対する意見、ダンサーとしての活動する上でのマナーなんかも。
本当に恵まれた、そして、わたしに合う環境だったと思います。

アミーラには、心から感謝しています。
もちろん、アマーニにも。

アミーラとアマーニのクラスに連れて行ってくれた友人にも。


このころ習ったことが間違いなくわたしの基盤となりました。


image
2009年バンクーバーにて